ミナミじゃない大阪の「南」のこと。

このところ大阪南部が気になっています。
いわゆるミナミではなく、高野山への途上にある南河内。
主に和歌山県や奈良県との境に近いエリアです。
父の実家が南河内の河内長野なので、 何回か行ったことはありましたが、
あまり興味を持つことはありませんでした。
しかし数年前に初めて父方の墓に行ってから
いろいろ調べるようになり、 かなり面白いエリアだなー、と思っています。
父方の墓は天野山金剛寺にあります。
と言っても寺の墓地ではなく、 金剛寺のある村の共同墓地です。
村の外れの少し高い位置にある共同墓地から見ると
周りを山に囲まれ、狭い土地に田んぼが広がり、
まさに日本の原風景という趣です。 そんな深い山の中に金剛寺はあります。
かなり立派な伽藍で、こんな山の中に 立派な寺があるのが不思議な感じでした。
調べてみると、金剛寺はいくつかある 女人高野の一つとして昔から知られた寺でした。
高野山は女人禁制だったため、 女性の参拝者は金剛寺などの女人高野に参詣したそうです。
また南北朝時代には南朝の後村上天皇の行在所となり、
一時期は捕虜になった北朝の皇族もいたようで 山奥ではありますが、
重要な役割を担っていたようです。
金剛寺に限らず南河内の山中にはこういった 地味だけど重要な寺社があちこちにあるのです。
なぜこんな山奥に隠れるように寺があるか。
しかも歴史のある名刹ばかり。
そこでいろいろ調べてみました。
その課程で分かったことがあります。
Googleマップを見ていて気がついたのですが、
南河内って奈良県南部から一山越えたところなんですね。
私の感覚では、大阪市内が大阪の中心部で、
それを取り巻く周縁の位置に 南河内などの土地があるという認識でした。
しかしそうではないのです。
南河内は大阪につながっているのではなく、
奈良の延長線上にある、奈良の周縁だったのです。
確か原武史さんの本だったと思うのですが、
長い間、大阪の中心は南だった、
それが近代になって北に大資本がインフラを作って
徐々にそちらが大阪の中心になっていった、 という話を読んだ記憶があります。
今はとても腑に落ちる説です。
おそらく平城京や斑鳩、飛鳥が政治の中心だった時代には
南河内は奈良の文化圏に接する山中だったのでしょう。
古代の奈良の人達にとって奥深い山中は厳かなる他界で、
そのため南河内の山奥には重要な寺社が建られたのかもしれません。
平安京に都が移ってからのことですが、
空海は南河内よりさらに奥にある高野山を修行の場に選びました。
本当に人里離れた環境を求めた結果、
すでに寺社が多く存在した南河内ではなく、
その奥にある高野山に辿り着いたのでしょう。
Googleマップをそういう目で眺めるといろいろな発見があります。
たとえば奈良の東側を一山越えるとその向こうは伊賀で、
その伊賀を越えれば伊勢湾で、濃尾平野はすぐに位置しています。
奈良と名古屋も別の文化圏と認識してしまいますが、
上古には実際の距離よりも近い存在だったと思います。
このエリアに伊勢神宮や熱田神宮があることも それと関係しているかもしれません。
少し調べただけでいろいろ出てきて、
歴史と土地の関係は本当に面白いのです。
とは言っても、まだまだ知識が足りないので、
勉強してもっと奥深いところを知りたいですね。
とりあえずは苦手な南北朝時代を勉強しようと思います。