豊洲と晴海の間の線路遺構のこと。

先日、越中島支線について書きましたが、
そのきっかけとなったのは地図上の謎の路線でした。
今回は実際に引かれている不思議な線路のことを書きます。
豊洲と晴海をつなぐ春海橋を通る度に
いつも気になっていたことがありました。
橋に平行して小さな橋があって、
その上に線路が引かれているのです。
雑草も伸び放題でいま使われているとは思えないその橋は
線路が敷いてあるだけで人が歩くスペースはありません。
もちろん立ち入り禁止なのですが、
これが何なのか、ずっと気になっていました。
ところが越中島支線について調べている時に
その正体を見つけました。
この線路は東京都港湾局専用線という路線の遺構だったのです。
戦前から細々作られ、
60年代から70年代にピークを迎え、
80年代末期まで現役で使われていた貨物用の路線でした。
豊洲や晴海は今でこそマンションが建ち並ぶエリアですが、
戦前から高度経済成長の頃までは、
たくさんの工場の並ぶ工業地帯でした。
たとえば現在はららぽーとになっている区画は、
石川島播磨重工の造船所でした。
隣の月島も工場が並んでおり、
今のイメージは全く違う街並みだったのです。
そんな工業地帯に向かって物資が大量に運び込まれます。
物資は国鉄の亀戸駅から越中島支線を通って越中島駅まで運ばれ、
そこから東京都港湾局専用線で湾岸地区に輸送しています。
線路は各民間企業までつながっており、
効率良く物資の輸送するための路線でした。
また東京湾の各埠頭から物資を運ぶ路線でもありました。
東京湾の物資輸送はもともと横浜港がメインでしたが、
関東大震災の際に海路からの輸送路がなかったため
支援物資を送ることに苦労した教訓から、
東京湾岸地区の線路整備がなされます。
この工事も戦中や戦後間もない頃は
物資の不足もあってなかなか進みませんでした。
しかし50年代に入る頃から工事が進み、
湾岸地区に線路が張り巡らされます。
これを高度経済成長で沸く各企業が利用していました。
また対岸にも芝浦、日の出に専用線が引かれています。
全体ではかなりの距離数になったようです。
輸送される物資はコークスや石炭、鉄鉱石などの資源が中心で、
越中島支線で越中島駅まで運ばれ、
そこから東京都港湾局専用線で各工場に運ばれていきます。
専用線の運営は名称の通りに、
東京都港湾局が担当していました。
東京都としては国鉄に運営を任せたかったようですが、
それは実現しなかったため、
東京湾の港湾設備という扱いで港湾局が引き受けました。
これは廃線になる時まで続き、
最後まで東京都港湾局の下に置かれました。
この他にも月島を通り京葉地区と京浜地区をつなげる案や、
貨物専用の路線を東京湾沿いに大々的に造る案などあったようですが、
実現しなかったようです。
このように活況を迎えた東京都港湾局専用線ですが、
60年代から物資輸送は鉄道からトラックにシフトしていったため、
徐々に衰えて、鉄道の輸送量自体が減っていきました。
また人口の増加が著しく、旅客と貨物で線路を共用するのが
難しくなったことも関係してると思われます。
さらに工場自体がどんどん他の場所に移転していき、
専用線を使う企業が減ったことも影響しているでしょう。
そうやって80年代に入ると少しずつ路線が廃止されていき、
1989年に最後の路線が廃線となりました。
その後、湾岸地区は大規模な再開発が行われ、
廃線となった線路もその姿を消していきました。
しかし春海橋の線路橋は数少ない生き残りです。
産業遺産として残す案もあるようですが、
今のところは何も決まっていないようです。
専用線の線路はほとんど姿を消しましたが、
その痕跡はまだ残っています。
例えばゆりかもめの一部は専用線の跡地を使っています。
特に汐留から芝浦埠頭までの路線は
この専用線に完全に重なっています。
専用線を利用したゆりかもめは、
豊洲の先から延伸する計画があったようです。
おそらくそのコースは専用線で実現しなかった
月島線と同じコースなのではないかと思います。
実際にゆりかもめの豊洲駅を外から見ると
線路が延ばせるようになっています。
実現するのはなかなか難しいでしょうが、
貧弱な交通網に苦しむ湾岸地区住民は
かなり便利になると思います。
春海橋の線路の遺構から湾岸地区における
戦後の産業構造の盛衰がよく分かりました。
つい目に入ってくるものだけで知ったつもりになってしまいがちですが、
少し気をつけるだけでその下に埋まった歴史が見えてきます。
これからも気をつけて街を歩いていこうと思います。